なにを思ったのか夫婦で酒田に行ってみようということになった
新潟の隣でありながら行ったことがない
それでいて、何となく酒田という地名が頭に残っている
酒田の大火という言葉が記憶にある
とにかく行ってみようということになった
車で行くにはおっくうな気がしたので電車にした
調べたら、朝の8時半の新幹線で長岡から新幹線で新潟へ
9時ちょっとの青森行きに乗れば11時半頃に着く 約3時間
なにがあるのかあまり調べずにフラッとやって来た
駅に降りて案内所を探すが見あたらない
駅構内には旅行社はあったが酒田の住人向け
駅前にでて見渡したがなんだか寒々としてあまり人通りがない
旅行案内所など目に入らない、駅前の案内板を見るがどこにでもあるようなもの
地元の人に案内所はないですかと聞いたら駅の脇にある案内所の場所を教えてくれた
良く見れば大きな看板を出しているのだが、どこぞやの駅前不動産屋みたいなもので
案内所というには、チトさみしい
そこにはベテランの女性が1人、親切にいろいろ教えてくれた
無料自転車を借りてまずは地元のおいしいみせ探し
駅前通を通ってみたがシャッターの降りた店が多くわびしさがただよった
案内書に書いてあった郷土料理のみせに行ってみたがのれんが出ていない
じゃあということで別の店ものれんが出てない、今日は定休日なのかと不安になった
お昼前では店は開いてないようだが、だんだん不安になって探してみるが
入りたいと思うような店がない
寿司やの暖簾が出ているのが目に入った
パンフレットに名前を探したら載っている店だった
港町だから寿司屋でもいいか、と腹を決めて入ってみた
ちょうどお昼、なにか地元の珍しいものはないかと聞くがそこは普通の寿司や
観光客相手の店ではないからとうぜん普通のものしかない
地元の珍しいものといっても困っちゃう そんな雰囲気
それでもなんだかんだと質問したらいろいろ教えてくれた
すぐ近くのお寺にミイラがあるのだけれど昔は見せてくれたが
最近は見せてくれないとか、そこで、どこかおいしい喫茶店はないかと聞いたら
近くの七号館というみせを聞かせてくれた
早速そこへ寄ってみた
マスター一人の店、他に客は無い
いろいろ、話をしたら昭和51年の大火の話を聞かせてくれた
映画館から出火してデパートに火が入って中が焼け
シャッターが吹き飛ばされ、火の粉が広がった
山形からも消防車が駆けつけ
川沿いに何台ものポンプ車がならんで火が川向こうまで行かないよう
放水の壁を造って防御していたがそれでも火の粉は飛んでいった
本間様の大きな屋敷は家の周りの杉の木が、火の粉から家を守って燃えなかった
こんな話を聞かせてくれた
そして、自分の店は大火のすぐ後にオープンしたとのことだった
地元の人からこんな話が聞ける、これが旅の楽しみだ
七号館からすぐ近くの「相馬楼」に寄ってみた
2時から「舞娘」の踊りがみられるとのこと
金持ちのいた土地には高級料亭と花柳界が栄える
そんな、過去の文化を絶やさないようにがんばっている「相馬楼」
酒田は人口10万人ほどの山形市に次ぐ県下第2の地区とのこと
しかし、町としてはそんなに大きな町ではないので
町中を走るには自転車でサイクリングが一番
貸し出し自転車は観光用と一目でわかるボードが止めてあり
少し恥ずかしい気もするがなれれば気にならない
裏通りを走るとひなびたお店、昔ながらのお店が目に入ってなんとなく良い
観光名所として日和山に寄ってみた
六角石、六角灯台、酒田港など一望し
再度町中へ降りてみた
大火で消失しなかった商店街と消失して再興した商店街
狭い道路と広い道路、何となく暗いアーケードと明るい通り
焼け残った本間家旧本邸を見学し
ここはみといたほうがいいよと言われた山居倉庫に自転車を走らせる
確かに、行ってみれば絵になる場所でした
帰りの電車は5時発ですのでそろそろ戻らねばと思い
駅近くの本間美術館を見学して駅前の観光案内所に自転車を返し
駅前のさびれたジャスコ撤退ビルと思われる建物をながめて
車中の人となった
結局、旅行で印象に残るものは、景色とかでなく、人との出会いだったことを
再確認する旅でした