税理士 高野裕
形式と実態が違う場合の課税について、納税者権利救済制度としての国税不服審判所が充分にその役目を果たした裁決を通して、その関連問題を考える。
会社役員である請求人Xは、平成5年分所得税確定申告を分離長期譲渡所得については0円として期限内に申告した。その後、分離長期譲渡所得以外の所得についての差違にもとづく修正申告を平成6年6月6日に提出した。これに対し原処分庁Yは、分離長期譲渡所得1,820万円とする更正処分を平成6年11月28日になし、これに対してXは異議申立、棄却の異議決定を経て平成7年3月22日審査請求に及んだものが本件裁決である。
昭和62年5月29日 Xは、妻Hとの離婚調停により本件マンションを、離婚に伴う慰謝料として譲渡することになった。昭和62年6月中旬ころ、Xは本件マンションからXに帰属する資産を搬出し、本件マンションの引き渡しを完了した。本件マンションの所有権をXから妻H名義とする所有権移転の登記については、@Kが年少であったこと、A周囲に離婚した事実を悟られたくなかったこと、Bマンション等の所有者は女性名義よりも男性名義の方が良いのではないかと考えたこと等の理由で、妻Hとも合意の上、Xと妻Hの長女であるKが成人に達するまで所有権移転の登記を遅らせることにした。そして、平成5年4月16日、Kが大学を卒業したことを契機として、Xから妻H名義とする本件移転登記をした。
Xは、原処分庁Yよりの「譲渡内容についてのお尋ね」照会の回答書及び平成5年分本件申告書に、平成5年4月16日、本件マンションを妻Hに譲渡したこと及び措置法35条(居住用財産の譲渡所得の特別控除)を適用することの記載をなして提出した。
そして、本件申告書等において、本件マンションの譲渡の日を平成5年4月16日としたのは、「本件調停時に、裁判所の職員から、本件マンションをHに譲渡することによって所得税の負担が発生することはないとの説明を受けたこともあり、単に所有権移転の登記をした時点で申告をすればよいと認識した」(注1)ことによるものである。これは、明らかに請求人Xの誤りによるもので、本件マンションの実質的な所有権の移転があったのは、「本件調停が成立した昭和62年5月29日または請求人が本件マンションから自己の財産を全て搬出した昭和62年6月中旬ころ」(注2)であると主張する。
@Xは、本件調停において、昭和62年6月末日を限りに本件移転登記に係わる手続きをする旨の合意があるにもかかわらず、これを履行せず、妻Hもその履行を求めていないこと。AXは、本件申告書等において、平成5年中に本件マンションを譲渡した旨の記載をしていること。BXは、昭和60年11月9日から、本件マンション以外の場所に住所を移転しており、その後のXの住所異動状況からしても、本件マンションがXの生活の拠点とされていた事実は認められないこと。
Yは、以上のことからして、本件マンションの譲渡は平成5年中に行われたものと認めるのが相当であり、かつ、本件特例の適用要件に該当しないと主張。
昭和62年5月の調停に基づき離婚慰謝料として先妻Hにマンションを引き渡すこととなった請求人Xは、住所も1年以上前から他所に転出しており、翌6月中旬ころに同マンションのXの資産を搬出していたことが認められるので、そのころに同マンションを相手方に引き渡したものと認められるから、その時が同マンションの譲渡の時期であると裁決された。
所得税法第36条第1項によれば、収入金額とすべき金額は「その年において収入すべき金額」とされている。この同条にいう収入すべき金額とは、収入する権利の確定した金額をいう。資産の譲渡により発生する譲渡所得についての収入金額の権利確定時期は、「当該資産の所有権その他の権利が相手先に移転するとき」(注3)であると解されている。すなわち、「譲渡所得に係わる収入金額の収入すべき時期は、譲渡所得の起因となる資産の引渡があった日の属する年分であると解するのが相当」(注4)である。引渡があったかどうかの判断は、売買契約などの目的とされた資産に対する現実の支配権が譲受人に移転したかどうかに基づいて行うべきである。
具体的には、売買の内容、所有権移転登記に係わる手続きに必要な書類の交付及び譲渡代金の決済状況などを総合勘案して行うのが相当である。
所得税法第36条1項は、「各種所得の金額の計算上収入金額とすべき金額又は総収入金額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、その年において収入すべき金額とする」と規定している。ここにいう「収入すべき金額」とは、収入すべき権利の確定した金額をいうと解されている(注5)。
昭和53年2月24日最高裁判決(民集32巻1号43頁)は、「現実の収入がなくても、その収入の原因となる権利が確定した場合には、その時点で所得の実現があったものとして右権利確定の時期の属する年分の課税所得を計算するという建前(いわゆる権利確定主義)を採用しているものと解される」としており、このことから、いわゆる権利確定主義は現実収入が権利確定時期より後にある場合、現実収入がない場合でも収益計上することが認められるための基準であって、その理由は、昭和
44年12月2日大阪地裁判決(訟務月報16巻5号479頁)が述べるように、「所得税法が前示のように権利確定主義を採用しているのは、所得税は本来究極的に実現された収支に対応する所得を対象とすべきであるが、多面、そのような現実収入主義を貫くときは、租税負担の公平を害する恐れがある。(例えば、収入の実現が可能である場合に、その実現に努力した者には課税されるのに、実現に努力せず放置、温存する者には課税されないという不公平な結果になる。)課らこれを避けるとともに、徴税技術上所得を画一的に把握して税収を確保する必要があることに起因するものと解せられる」と判示していることからも、課税の公平という要請と、徴税の便宜をはかるために画一的判断基準が必要であることから、税法上権利確定主義が採用されたと考えられる。権利確定主義が税法上妥当である理由として、金子教授は次の二点をあげている。すなわち、「第一に、今日の経済取引においては、信用取引が支配的であるから、たとえ現実の収入がなくても収入すべき権利が確定すれば、その段階で所得の実現があったと考えるのが合理的であること、第二に、現金主義のもとでは、租税回避するために、収入の時期を先に引きのばし、あるいは人為的にその時期を操作する傾向が生じやすいこと」(注6)である。
権利確定主義は税法上の収益帰属年度に関する大原則であるがごとき印象を与えるが、それは税法上の損益すべてに通じる原則ではない。そもそも権利義務にかかわりのない損益に関しては判断基準たり得ない(注7)。さらに、「従来、税務行政の実際において、また判例上も一般に支持すべきものとされてきた権利確定主義なるものも、その内容は多様で実体規定との結びつきも明確を欠き、むしろ、その文言上の印象に強く左右されて事柄の本質を見失う結果をも招来しているのではないか」(注8)と危惧される。
権利確定主義は、長所として、「画一的な基準よって、所得を年ごとに正確、かつ確実に捕捉でき、課税の公平と徴税の便宜をもたらす」ことがあげられるが、その反面「ややもすると所得なきところに所得税を課し、応能負担の原則に反する結果をもたらす短所をも兼ね備えている主義である」(注9)とも考えられている。
このような批判のなかで権利確定主義は、「所得ないし収益の実現時期の判定に関する何らかの法的な基準の必要性は依然として否定できない」し、「権利確定主義は、例外的な場合を除いて、そのような必要性を満たすことができ、したがって今後とも妥当性を認められるべきである」と支持されている(注10)。
では、譲渡所得の実現の時期は何時であるのだろうか。通常、不動産の譲渡においては譲渡契約の予約、手付金の支払い、契約の成立、登記手続、物件の引渡、代金の支払いなどいくつかの段階を経て完成することが通常である。これらのいずれの時期に譲渡所得は実現したと判定すべきものであろうか。
この点について、不動産の譲渡時期について問題となった最高裁判例を紹介するならば以下の4件である。@昭和47年12月26日最高裁判決(民集26巻10号2083頁)は、契約締結と同時に所有権移転登記を終えたが、代金支払方法を長期割賦弁済とされた事件において、売買契約締結、所有権移転登記がなされた年を譲渡所得計上の時期と判示した。A昭和48年6月26日最高裁判決(税資70号564頁)は、契約締結の年に代金の一部支払があり、翌年に引渡と残金の大部分の支払いがなされ、その後の年に所有権移転登記がなされた事件において、契約において所有権移転の時期を引渡の時とする旨の特約があることに注目して、引渡の時を譲渡所得計上の時期と判示した。B昭和60年4月18日最高裁判決(訟務月報31巻12号3147頁)は、農地の売買において契約の年に代金全額の支払いを受け、農地法所定の知事の許可は後年になされた事件において、農地法所定の知事の許可がなくとも譲渡所得の実現があったものとして収受代金に課税できると判示した。C昭和62年11月24日最高裁判決(税資160号633頁)は、第三者所有地上建物の収去時ではなく、移転登記の経由、代金完済によりその土地が地上建物の存在する状態で買主に引渡されたと認められるときに譲渡所得の計上をする旨判示した。その根拠として、「譲渡所得に対する課税は、資産の値上がりによりその資産の所得者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税するものであるから、譲渡所得の帰属時期は、資産が所有者の支配を離れて他に移転する時期と解すべき」ものとしている。以上のことから、最新の判例は「資産が所有者の支配を離れて他に移転する時期」に譲渡所得を計上すると判断している。
本件の譲渡所得計上時期については、時系列に考えられる時期を並べてみると次のようになる。
本件は昭和62年に離婚にともなう慰謝料の代別弁済としてマンションの所有権を譲渡し、移転登記が平成5年になされ、契約及び引渡の時期と移転登記の時期がずれたことによる問題である。当事者間においては昭和62年に慰謝料の代別弁済としてマンション引渡がなされており、実質的当事者間での所有権の移転はすんでいると考えられるが、登記という形式的外形が満たされていない状況がしばらくの間続いてしまった。実態と形式の乖離による問題である。
民法上、昭和62年5月の離婚調停成立なり、翌月の引渡なり、どちらにせよ昭和62年には妻HにXからマンションの所有権は移転したと考えられる。登記は公示力のみであることからも平成5年に実質の所有権が移転したものではなく外形的形式が補完されただけと考えるべきものである。本裁決がいうように、譲渡所得の収入時期については資産の引渡しがあったときと理解すれば、昭和62年中に引渡が行われたことから譲渡所得の収入時期は昭和62年中となる。もっとも、この引渡の時とは占有物の引渡のみをいうのか、登記手続をも含むのかについては、そのいずれかが移転したときと理解されているようである(注11)。このことからも、昭和62年に実質所有権は移転しているものの登記だけが事情により移転されていなかった本件においては、譲渡所得収入の計上時期は登記がなされた平成5年ではなく、所有権移転の時期である昭和62年ということになる。
税務署は通常、登記簿上で異動があった場合、譲渡申告についてのお尋ねなり申告の案内を納税者に通知して申告漏れがないようにフォローしている。本事件もそのような税務署からのお尋ねにより申告がなされたことで、その申告内容と実質の関係に齟齬をきたしたことから起きた問題である。税務署からすれば登記のような外形的形式が異動しない限り譲渡資産の異動を把握することは難しいことは事実であろう。そこで、譲渡についてのお尋ねを該当者に郵送し、その回答を持って申告義務の判断をしており、またそうするしかないのである。本件において、Xがお尋ねの回答欄に「引き渡した日」という意味を「所有権の移転登記をした日」と認識し「H5・4」と記載していることから、Y税務署は平成5年に譲渡があったのであれば、居住用の譲渡所得の特例は適用できないとして更正処分をなしたものであり、それはそれで当然の処置であったと考える。これについて、なぜ税務署は実状をもっとよく確認せずに更正処分をなしたのであるか、外形的形式的判断だけで処理してしまったのかと責めてみても、そこまでの責任をY税務署に問うことはできないと考える。
そもそも、申告納税制度のもとにおいては第一義的に納税義務者の申告に基づいて課税判断がなされるのであるから、X自らが平成5年に譲渡所得の申告をなしたことに対し、Y税務署の判断そのものは、税務署レベルとしては問題ないものと考える。しかし、実際は昭和62年の譲渡であるのであるから、平成5年の更正処分は事実関係を正確に把握した処分でないのであるから是正されるべきものである。その救済の道として異議申立制度があることから、Xは直ちに異議申立をなし、結果として異議申立は棄却されている。その結果として本件審査請求に及んだものであるが、なぜ、異議申立の段階で現実的引渡が昭和62年であり、実質的には昭和62年に譲渡がなされていることについて把握できなかったのであろうか。譲渡所得の収益計上の時期は外形的形式がどうであれ、実質上譲渡がなされていることがポイントであるとの判断があれば、Xの事情を確認することで昭和62年の譲渡との判断が十分に確認できうることと考えられる。少なくとも登記だけで判断するものではないとの認識があれば異議申立の段階でも更正処分の取り消しはあり得たはずである。
我々実務家は、日頃税務署と接触する段階で、譲渡所得の申告は、登記がなされたときに基本的には課税されると認識している。しかし、現実の引渡が過年度であったとしてもその実態を証明する手段が十分でないため、結果として税務署に対しては登記が現実の時期と違うということを立証できず、事実関係がどうであれ第三者である税務署に対して登記の時期以前に事実としての引渡があったことを主張することは難しい場合が多い。本件のように昭和62年に現実の譲渡がなされていたとしても、本人の申告がなされない限り税務署に対しては登記の時に譲渡があったものとして課税されることが現実である。本件のような平成5年の課税は本人が譲渡所得申告に対する十分な認識がなくなされた場合、起こりうることである。
申告納税制度においては、自らが申告することから始まるのであるから、自らが昭和62年に譲渡があったとして申告しておれば問題が発生しなかったものであるが、登記のなされた平成5年に税務署のお尋ねをきっかけとして申告することとなったことで本件のような問題が発生した。当初のY税務署による更正処分は当然なされるものであって、それは、自らが昭和62年分として申告しなかったことによるリスクを背負った結果であると考えられる。とはいうものの、Xの認識不足なりの問題はあるにせよ、本来課税されるべきでない者に課税されてしまうということを放置するわけにはいかず、何らかの救済措置が求められるべきである。その措置が異議申立制度であり、本件審査請求制度である。このことから、本件事件については、実に審査請求制度があることによりXの課税されるべきでない事実を明確にして更正処分が取り消された、申告納税制度における納税者救済制度か充分機能した裁決であったといえる。しかしながら、本件審査請求にいたらなくとも異議申立の段階で、本件裁決のような納税者救済の機能が機能しなかったのかについて考えさせられるものがある。
本件裁決は、国税不服審判所の機能が充分働いて、申告納税制度を採用しているわが国租税制度下における納税者救済制度が存分に活かされた裁決であり、高く評価できるものと考える。そして、本裁決が高く評価されればされるほど、その前段階にある異議申立の異議審理庁は納税者救済に充分機能しているのかについて強い疑問を抱かざるを得ないものとなる。
注記
税務弘報46巻8号(1998年8月号)122頁以下掲載原稿