あちこちポスターを貼っていただくお願いに頭を下げてまわる
こんなお願い行脚をしていると、いつの間にか我々のやっていることが個人の域を越えてくる
リリック野外劇参加は個人的な判断で参加を決めている
私個人としては、普段何も健康にいいことなど一つもしていない、汗をかくことなど全然していない
そんな中で、せめて一年に一回くらいある時期汗をかくよううに心がけることも良いのではと考えた
毎回の練習がエアロビクスの教室に通うようなモノだから、それも公演という目標のあるモノだから良いんじゃないかと考えた
ここいらへんは実に個人的な理由である
ところが、切符を売りさばいたりポスターを貼っていただくようにお願いにあがったりし始めると個人的理由は後ろに追いやられてしまう
個人的理由なら、いやなら止めればいい、途中で投げ出しても良い、役が下手でも良い、素人素人した学芸会でも良い
しかし、親戚に配るだけではすまない切符の売りさばきや、お店の美観なり商品優先の売場に無理にお願いして貼っていただくことなどをやってくると、だんだん個人的理由より社会的責任が全面に出てくる
周りの人にお願いすると言うことは、その反作用として真っ当なモノでなければならない
多くの人が、次回も来てみようと言うようなモノでなければならない
自分たちの自己満足だけであってはいけない
いろんな人の協力なり犠牲のうえで成り立ってくるモノであればあるほど、多くの人から喜んでいただけるモノでなければいけないと感ずる
やはり、もう一回見てみたいと思うモノにしなければと感ずる
そうなると、素人素人していることに甘えることは許されない
お客様に支持される役者にならねばならない
自己満足としての演劇では成り立たない
そんな努力によって、ポスターを貼っていただくことの感謝に応えることができるのではないか
以上は、ポスターのお願いにうかがった社長さんと、長岡の発展とリリック野外劇の将来展開について意見交換しながら私が考え感じたことを書き留めてみた