リリック野外劇 −演劇をとおして伝えたいこと−連載

@市民演劇を行う意義

昨年に引き続き、「リリック野外劇」の上演に向けて稽古が始まりました。出演者・スタッフ合わせて総勢55 名が週4 日リリックに通っています。

こ れから『リリック通信』では稽古の様子や参加者の感想など、いろいろとお伝えしていく予定ですが、今回は演出の安田雅弘さんから原稿を寄せていただきました。

リリック野外劇について

〜二年目を迎えるにあたって〜

演出家 安田雅弘

昨年の『夏の夜の夢』にひきつづき、今年もリリック野外劇が開催されることになりました。テキスト(=台本)はシェイクスピア原作の喜劇、『じゃじゃ馬ならし』を使います。シェイクスピアの作品のなかでは比較的初期のものといわれています。後期の四大悲劇のような、円熟味にはやや欠けるものの、若くて勢いのある戯曲で、シェイクスピア喜劇のなかで私がもっとも好きな作品の一つです。

作 品の内容についてはチラシなどをご参考にしていただくとして、ここでは野外劇の意味あいについて、私の考えているところをのべたいと思います。

 まず演劇的な教養にできるだけ多くの方々にふれていただきたい、というねらいがあります。演劇的な教養、などというと、何やらむずかしいことのようにお感じになるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。たとえばシェイクスピアというすばらしい劇作家の魅力にふれるのもその一つですし、大きな声を出してせりふをしゃべることや、からだを思いきり動かしてダンスをおどることもその一つになります。たのしい体験を通じて演劇の世界を身近に感じていただければいいのです。

日 本人は世界的に見ても、歴史的に見ても、演劇に深い理解のある民族だと私は感じています。しかし残念ながら、いまの教育制度のなかでは小学校や中学校で、その教養にふれる機会がありません。東京芸術大学という国家的な芸術家養成の場所にも「舞台芸術科」というものがありません。つまり、ほとんどの方はもっぱら「鑑賞」というかたちでしか演劇に参加されていないのが実状です。けれども本来、演劇は、音楽や美術やスポーツと同じように、体験によってその才能が発見されたり、いわゆる名人の熟練した技術を味わうことができるようになる種類の芸術表現なのです。

演劇をやりたい、あるいはもっと知りたいと感じている方はたくさんいらっしゃると思います。野外劇には特段の参加資格はありません。どなたでもやる気さえあれば、出演できます。演劇がどのような訓練を必要とし、どういった段階を追って作られて行くかを実際に体験していただくことができるのです。そのあと、ご自分たちで演劇をつくろうと思われたときには役にたつでしょうし、何より演劇をご覧になるときの視点が変わったことに驚かれることでしょう。

野外劇のねらいとして、もう一つ、私が重視しているのは地域のコミュニティの核としての役割です。演劇によって地域のコミュニティを形成できないものかと考えているのです。あらためてのべるまでもなく、ちかごろ少年の凶悪犯罪が世間をにぎわせています。私も東京に住んでいるのですが、あきらかに高校生とおぼしき人たちが人目もはばからずに道路や電車のなかでタバコをすっている光景によくでくわします。よくないこととは思いながら、なかなか注意することができません。青少年の教育という視点で考えた場合、家庭、学校という場所にくわえて、社会という場が欠かせないと思います。むかしであれば、若衆組や青年団という組織がいわば社会教育の一端を担っていたと考えられますが、社会構造の変化とともに、以前のようには機能しなくなっていると思われます。

 野外劇には、はばひろい年齢層から、さまざまな職業の方々があつまります。この集団のなかには、たとえばタバコをすっている高校生に(実際にはいらっしゃいませんが)、直接注意できるような信頼関係があります。そのような信頼関係をともなう集団をコミュニティと呼んでいきたいのです。私たちの人間関係はどうしても家庭と職場にかぎられがちですが、野外劇に参加していると普段ふれることのない職業の人々と知りあうことができます。これは社会的にはとても大きな効用と考えられます。もちろんリトルリーグや合唱サークルを例にひくまでもなく、こうしたコミュニティは社会にたくさん存在しています。演劇もその一翼を担えるのだ、いやむしろ、演劇はそうしたコミュニティづくりには非常に適した芸術表現なのではないかと私は考えています。

今年は実現できなかったのですが、ゆくゆくは、長岡市のなかにある企業や教育機関の皆さんにも、いま以上に野外劇に参加していただきたいと思っています。パンフレットなどに企業の広告を掲載し、資金援助していただくという従来のメセナではなく、社員の方々の野外劇参加を奨励し、たとえば有給あつかいにしていただいたり、各学校から先生がたを野外劇に派遣し、研修の一つとしてあつかっていただくということができないものでしょうか。演劇に興味のある社員の方はおそらくどの企業にもいらっしゃるでしょうし、こうした機会に参加されれば、企業の顔というものが参加者には今まで以上に具体的に見えてくると思います。

ま た、せっかくリリックホールの近くに造形大学という、すぐれた技術者や美術家をそだてる教育機関があるのですから、野外劇の美術や衣裳を担当していただき、それを大学の「単位」として認めていただくような制度ができないものだろうかとも考えています。造形大学にかぎりません。高校でも大学でも野外劇に参加することは、卒業にむすびつく「単位」として考えていただくに足る体験ではないか、すくなくともその可能性は持っているのではないかと私は考えています。

核 家族化した現代の社会に必要な、さまざまな教養や人間のネットワークを野外劇は秘めているのではないか、と当事者である私や運営スタッフは多少の自負もこめて、その行く末に期待をふくらませているところです。

やすだ まさひろ(劇団山の手事情社・主宰、演出家、リリック野外劇の演出を担当)


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