正直言って、戯曲は苦手だった。読んでいるとどうも眠くなってしまう。チェーホフのいわゆる「4大戯曲」なんか、もってのほか。ストーリーがはっきりしてないし、誰が主役かわからないまま途中で挫折してばかりだった。 |
それが、あるエピソードを聞いてから変わった。 |
チェーホフと仲良しの演出家がいた(名前を思い出せないが、たぶんスタニスラフスキィだったと思う)。彼は、チェーホフから「僕の戯曲を読んでほしい。」とある原稿を手渡されたが、何回読んでも面白くない。途中で眠くなってしまう。「なんだこりゃ?」と投げ出していたが、ある日ふと気を取り直して、声を出して読んでみた。すると、どうだろう、突然登場人物たちが生き生きと動き出した。 うそじゃないかと思い、もう一度音読してみた。次は、声色を変えて、この女性は甲高くてせっかちに、こっちの女性は少し夢見るように上品に・・・どんどんイメージがふくらんでくる。よし、この役は誰にやらせよう、舞台装置はこういうふうに・・・と、あれよあれよと演出が決まってしまったとのこと。 |
この話を聞いて、さっそく家に眠っていたチェーホフの戯曲を引っぱり出し、声を出して読んでみた。すると、本当に面白い。あー、こんなヤツ周りにいるなあ、あ、こんなとき苛立つ気持ち、わかるわかる・・・登場人物のなかに、どこか共感できる部分をみつけつつ、あっという間に読んでしまった。 |
そう、チェーホフは3次元思考の人なのだ。小さいころから戯曲を書くことをめざしていた彼が本当に表現したかったのは、言葉のもつリズムの美しさやすれ違う会話の可笑しさなどからにじみ出る、生きて動く人間たちの人間くささ。2次元の枠のなかに押し込められた文章ではないのだ。 |
そう考えれば、意外と劇作家や俳優などにチェーホフ好きが多いのもうなずける。彼らは体でもってチェーホフの言葉を感じているのだろう。 ぜひ、いちどだまされたと思って音読してみてほしい。(周囲に迷惑をかけないように!) |
「私はかもめ。いえ、そうじゃない・・・覚えてる−あなたがかもめを撃ち落としたこと?ある日たまたまやって来た男が目をつけ、退屈まぎれに破滅させてしまう・・・ちょっとした短編の素材・・・・いえ、そうじゃない・・・・ ・・・・いまではね、コースチャ、いまでは私、はっきりわかっているわ、私たちの仕事では−演じるのも書くのもおんなじことだけど−なにより大切なのは、名声とか、栄光とか、私の夢見ていたようなものではない。耐える力なのよ。おのれの十字架を背負うすべを学び、信念を持つことよ。私は信念を持っている、だから苦痛も耐えやすくなる。そして私の天職のことを思うと、人生もこわくなくなるわ・・・・・。」 (「かもめ」 第4幕より 小田島雄志訳) |
チェーホフの戯曲の中では、個人的には「かもめ」が一番好き。シンプルで、こっけいで、哀しい。最後に、コースチャが自ら死を選ぶことについてはとかく論議されているけど、私はそれなりに納得している。 |
どちらかといって納得できないのは、チェーホフがこの作品を「Комедия(喜劇)」と呼んでいることだ。 「かもめ」は、チェーホフがサハリンに行く前までに<チェホンテ>のペンネームで書いてきた「喜劇」や「笑劇」とはまったく違う。もしかすると、「喜劇」とは思えないこの作品を「喜劇」と名付けたこと自体がチェーホフ一流のユーモアなのかもしれない。 |