平成12年9月24日 

「ガラスの動物園」を読む

 高野 裕

 この戯曲を読んだ印象は、舞台設定の細かな指示、それも観客の五感に訴える指示の斬新さにひかれるものを感じた。スクリーンに映し出される状況に応じたメッセージ。全編を通して流れるテーマミュージックの設定指示。バックの効果音、通りから聞こえてくる音。舞台上を別な空間としてしまう透明なスクリーン。効果的なライトの使い方と色の設定、影の活用指示。それらによって人物の心理状況を暗示、ロウソクの火を活用することにより心の内面に入ってゆく場面表現とエンディングへの活用。そして、進行役であり役者である人物が、観客に語りかけたり役の中に入ったりと異次元を行き来する演出。この戯曲は1945年というから昭和20年、すなわち第2次世界大戦終結の年に発表されたものである。この時期にすでにこれだけ観客を意識した斬新な演出方法を取り入れていたことに敬服する。これらの演出方法は55年過ぎた現在でも積極的に活用され、そんなに大きな進歩はなされていないのではないかと感ずるものである。

 この戯曲に登場する人物は母と娘、息子、青年紳士の4人、そして写真だけの父となる。場面設定はセント・ルイスのある裏通り、時は現在と過去の同時並列。青年紳士来訪前と青年紳士来訪の全二部構成。子供たちの将来を案じて子供たちのために一生懸命生きてゆく母。母のひいた路線を歩もうと努力はするが社会に適応できず自分の中にこもってしまう娘。母の描いている価値観を押しつけられて息苦しく感じ飛びだそうとしている息子。そんな息子の追憶劇である。この時代の倫理価値観に縛られた母と子供の葛藤を、各自の心理状況を多次元的な演出方法で示唆しながら劇を進めてゆくものである。ここでは、写実的な演出より心理的示唆に富む演出を目指したものであるから、劇の最初の食事場面は実際のフォークなどを使わずに身振りだけで示すように指示がなされる。この戯曲の最初は作家による状況説明と舞台装置の指示が事細かくなされている。このような作家による指示は作品の随所に見られ、本戯曲構成の大きな特徴となっている。

 本作品のタイトルとなった「ガラスの動物園」は娘の心理状況を表したもので、劇中ガラスのユニコーンの角が壊れ、ただの馬と同じになり、ほかの馬と一緒になれてよかったと言いたかったものなのか自分の特徴がなくなってしまったと言う意味なのかわかりづらいものを感じたが、とにかく壊れやすいガラスのユニコーンが娘の心理状況を象徴的に表現するものとして使われている。

 後半部において、青年紳士が娘の心を解きほぐし接吻に至る場面ではハッピーエンドを予感させるものであるが、結局あっさりと打ち砕かれ現実の厳しさを見せつけて終わる。このことからも、この作品は夢物語の作品ではなく社会の下層に位置する小市民の現実的な側面を要領よく観客の五感に訴えながら共感と斬新な手法で引き付けた作品と理解できよう。

 「ガラスの動物園」 テネシー・ウィリアムズ 小田島雄志 訳 新潮文庫
 Tennessee Williams - The Glass Menagerie (1945)