ハムレット
この作品は、シェークスピアの代表的な作品としてよく耳にした書名である
読んでみて、うれしくなってくる場所が2カ所ある
一つは「to be or not to be」 行うべきかそれとも行うべからずか とでも訳すのであろうか
もう一つは「尼寺へ行け、尼寺へ」 何かのCMでやっていたセリフだ
この2カ所がハムレットの中のどの場面で出てくるのかはわからなかったが
とにかく有名な場面であることは明らかだ
はじめて読んでみた
内容は父の幽霊に出会って、父が父の弟に毒殺されたことを聞かされ、その上母と父の弟が不義の関係にあった事をも知らされて悩み苦しむ息子ハムレットの話ということであろう
前出の2カ所がなぜ有名なのか今までわからなかったが
さきの「to be or not to be ・・・」について
考えてみれば重要な場所である
すなわち、小田島さんは「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(110頁)と訳している
これは、ハムレットが父の幽霊の言ったことを信じて仇討ちをすべきか
それとも単なる悪霊の戯言で無視すべき事だと自分を納得させるべきか
この二者択一の選択が求められている状況で、若いハムレットは「それが問題だ」として苦しみ悩む
そんな状況のセリフであるから、このセリフにこの戯曲の全てが集約されていると言っても言い
ハムレットが幽霊と言うより父の怨念を感じて叔父を仇討ちの対象として行動すべきかどうするか
まさに自分は父の怨念をはらすべき事として、あやしげな幽霊の言葉を信じるべきか
そんなあやしげな幽霊など信じるべきではないと理性的な対応をすべきか
このかっとうのなかで苦しむ若いハムレット
考えてみれば、シェークスピアの時代、およそ400年前のヨーロッパは何でも神一辺倒の時代から少しずつ人間というものが自覚され始め、自然科学が未知の世界(神の世界)を一歩ずつ解明して新しい発見発明が出始めてくる時代と記憶している
そうであれば、非科学的な幽霊と理性としての対応がハムレットの中でかっとうしていることをあらわすセリフと理解することも出来ようし、中世と近代の同居による悩みともいえよう
そんな深い意味のあるセリフが「to be or not to be」であろう
もう一つの「尼寺へ行け、尼寺へ」は、恋するオフェリアに対してハムレットが言い放つセリフである
これは、自分の母が自分の父である夫以外の、それも父の弟と情欲におぼれて父の死亡後ただちに婚姻してしまうことに対し、清廉な思いの母が情婦のようにだれとでも情欲に任せて交わってしまうことにたいする怒りと失望から、女性に対する不信感を持ち始めたハムレットの心情を表した言葉として「尼寺へ行け」と言わせているのではないかと考える
キリスト教の世界では「汝姦淫するなかれ」とされているにもかかわらず、現実社会は性道徳は乱れていたのがこの時代であり、そんな時代に対する反発ととらえるか皮肉ととらえるか、そんな純粋な青年としてのハムレットの心情を的確に表すセリフとして「尼寺へ行け」と言わせていると考える
そんな純粋な青年であるからこそ父の幽霊の言葉も聞こえ、そんなハムレットを描くことでピュアーな人間の心、美しい姿を表現する
人間は肉体ではなく、その人の心が大切なのだ、欲でまみれた心は欲によって自分を滅ぼす
人間の「欲」と「理性」のかっとうをあらわしているものとしてこの戯曲を理解することもできよう
結局、有名な2カ所のセリフはこの戯曲の中心課題をあらわしているものとしてやはり重要なセリフなのだと感じた。
それにしても、シェークスピアのセリフは長いね