新潟日報 平成12年7月12日
昨年の「夏の夜の夢」に引き続き、今年も長岡リリックホールで野外劇が開催されることになった。五十人を超える一般の参加者とともに、歌あり、ダンスあり、そしてもちろんお芝居ありのシェークスピア喜劇「じゃじゃ馬ならし」に取り組む。シェークスピア作品の中では比較的初期のもので、後期の四大悲劇のような、円熟味にはやや欠けるものの、若くて勢いがあり、豊かな会話が大きな魅力である。
この野外劇には、演劇的な教養にできるだけ多くの方々に触れてもらいたい、という狙いがある。演劇的な教養といっても、決して難しいものではない。シェークスピアというすばらしい劇作家の魅力に触れ、大きな声をだしてせりふをしゃべり、からだを思いっきり動かしてダンスを踊ることを考えてもらっていい。楽しい体験を通じて演劇の世界を身近に感じてもらいたいのである。
日本人は世界的にも、歴史的にも、演劇に深い理解のある民族である。しかし残念ながら、小中学校ではその教養に触れる機会がほとんどない。もっぱら「鑑賞」というかたちでしか演劇に参加していないのが実情である。しかし、演劇は音楽や美術やスポーツのように、体験によってその才能が発見されたり、いわゆる名人の熟練した技術を味わうことができるようになる芸術表現なのである。
野外劇にはだれでもやる気さえあれば、出演できる。演劇がどのような訓練を必要とし、どういった過程で作られていくかを実際に体験すれば、自分たちで演劇を作ろうと思ったときに役に立つだろうし、何より今後演劇を見るときの視点が変わったことに驚くことに違いない。
野外劇のもう一つの狙いは、地域のコミュニティーの核としての役割である。近ごろ少年の凶悪犯罪が世間をにぎわしている。私の住む東京でも、人目もはばからずに道路や電車の中でたばこを吸っている高校生によく出くわす。青少年の教育には、家庭、学校という場所に加えて、社会という場が欠かせない。
野外劇には、幅広い年齢層から、さまざまな職業の方々が集まる。この集団の中には、たとえばたばこを吸っている高校生に(実際にはもちろんいないが)、直接注意できるような信頼関係がある。私たちの人間関係はどうしても家庭と職場に限られがちだが、野外劇に参加していると、普段触れることのない職業の人々を知り合うこともできる。社会的にとても大きな効用だと思う。
ゆくゆくは長岡にある企業や教育機関の皆さんにも、今以上に野外劇に参加してほしいと思っている。パンフレットに企業の広告を掲載し資金援助してもらう従来のメセナ(芸術支援)だけでなく、社員の方々の野外劇参加を奨励し、例えば有給休暇扱いにしてもらうとか、各学校の先生方を野外劇に派遣し、研修の一つとして扱ってもらうということができないものだろうか。企業の顔や演劇の教育的側面が、今まで以上に見えてくると思う。また、大学生や高校生の参加行為を学校の「単位」として認めてもうらうような制度ができないものだろうかとも考えている。
核家族化した現代の社会に必要な、さまざまな教養や人間のネットワークを野外劇は秘めているのではないか、と当事者である私や運営スタッフは多少の自負もこめて、その行く末に期待を膨らませている。
安田 雅弘 (劇団山の手事情者主宰、演出家、リリック野外劇演出担当)