Apr.1996

JTRI 租税法研究 知新会 会報

発行人 菅納 敏恭

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「法律学のお勉強」


敏(トシ):

50年も前に、シャープ博士は、全国の大学 に租税法講座を設けろ、と言いおいて帰ったん でしょ。それなのに、いまだ、租税法研究者が 少ないのは、どういう訳 ?

恭(ヤス):

まぁ、世に税務実務家は多いんだけど、 実務家の中からも、学者はでませんなぁ、米国 なんて、法学部教授も、弁護士を教える弁護士 というノリなんだけど。

トシ:

やはり、若い日本の研究者は自分自身の切 実な問題として、税を考えたくなるほどの収入 所得を得ていないという状況が、そもそも、現 代日本の文化の状況として‥‥、

ヤス:

そんなことは、どうでもいいんだけど。
まず、日本は近代化を急ぐ過程で、大量の法 律技術者を必要としたわけです。そのため、法 律学を学ぶことは、立身出世のよすがにすぎな い。官立を別にして、現在日本の名門大学はす べて、キリスト教宣教師が作った英語学校か、民間 が作った法律学校が淵源ですが、こうした法律 学校は、国家試験のための予備校で、人格教養 の陶冶というものに直接の責任を持たない。そ れは旧制高校、中学がやる。現在、司法試験・ 税理士試験も専門学校があって、大学に在籍し ながらダブルスクールとして通う学生も少なく ないけど、明治期、神田地区に発生した夜学の 法律学校は、こんな感じだったのでしょうね。 官立大学も国家公務員養成学校という面があり ましたよね。
戦前の美濃部達吉の天皇機関説弾圧について、 大内兵衛は
「美濃部達吉博士の学説といえば、大正8年より 昭和10年までの日本における、政府公認の学説 である。という意味は、この15年間に官吏とな ったほどの人物は、十中八九あの先生の憲法の 本を読み、あの解釈にしたがって官吏になった のである。‥(中略)‥しかるに、いったん、 それが貴族院の一派の人々、政治界の不良の一 味、学会の暴力団によって問題とされたとき、 ‥(中略)‥上は貴族院議員、衆議院議員、検 事、予審判事、検事長、検事総長等々より、下 は警視総監、警視、巡査にいたるまで、彼らの うち一人も、みずから立って美濃部博士の学説 が正当な学説であるというものがなかった。‥ (中略)‥美濃部先生の学説はその信奉者たる 議員、官吏のうちにさえ、その真実の基礎をも たぬものであった。だからこそ、彼らは、上か ら要求されれば自己の学説をすてて反対のこと をやったのである。それについて自己の責任を 感じなかったのである。何ともバカらしい道徳 ではないか。何ともタワイのない学問ではない か。」
と激烈に書いているけど、公務員となるものは、 法律学を思想として学んだわけじゃない、法技 術を修得したのだから、電気工事の職人にファ ラデーの思想を問うようなもので、大内の主張 は、八つ当たりというか、逆に正鵠を得ている というか。
そこで、まぁ明治以来、国家試験に出題され ない法律科目は、どんなに社会的意味があろう がなかろうが、本は売れない、学生は集まらな い、研究者は少ない、と言うことになるのです。
業界は、司法試験の選択科目にでも、税理士 試験の必修科目にでも「租税法概論」を入れる 運動をするべきですよ、ただちに。

トシ:

知的財産法も同じような立場だと言ってた わね。

ヤス:

租税法が、いまひとつ流行らないのには、 ほかにも、理由は上げられるでしょう。租税法 は、国民の権利の最たるものですが、文明の歴 史として、日本にとっては西洋法体系がいまだ 借り物だってこと。日本人一般にとって法律用 語は外国語でしょ。言葉は文明の基礎です。 「権利」なんて、いまだ外来語ですよ、明治文明 が咀嚼しきっていない。英語で、権利 Right と いえば、英国人なら、正当性、正義、やって良 いこと、ついでに、道の左でない側、なんて、 どこか生活の深いところで裏付けされた言葉な んですよね。ところが、日本人にとっては、外 来語だから、「権利」と「正義」が肌のところ で結びつかない。法律でそう決まってる、権利 だ、と言われると、課税庁も一般納税者も思考 が止まってしまい、その主張が正義にかなうか どうか、という価値判断につながらない。

トシ:

でもいまさら職を得るためにお勉強する必 要のない中年のおじさんが、大学院に行きだし たのは良い傾向でしょ。メイワクもあるでしょ うけど。

※ 「法律学について」大内兵衛著作集12巻 岩波書店

〈 左党だけど righthanded の カンノ 記〉

 


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Last Updated: 12/01/96