Mar.1996
JTRI 租税法研究 知新会 会報
発行人 菅納 敏恭
Billboard
「経済学のお勉強」
敏(トシ):
ねぇ、見て、みて。これ フェラガモ。
フェ・ラ・ガ・モ、知ってる ?
恭(ヤス):
何だい、その フェラガモ って? 鴨かい?
トシ:
だからあなたって人は、面白くないのよ。安くな
いのよ、この ブランド。
ヤス:
ブランドが何だって、服は服、バックは
バックでしょ。
イタリアものだって、フランスものだって、実際には、
韓国製や中国製も多いんだぜ。
だいたい女ってのは、そういう ブランドに 釣られて、
商品の洪水の中で“記号”を消費しているだけでしょ。
トシ:
なにが「だいたい女は」よ。そういう言い方はお
気をつけあそばせ。
その一言で、あなたの過去の おんなの レベルが、ぜ
ーんぶ、分かるのよ。
ヤスだってこの間、シャトー・ラフィット・ロトシルドの86年もの
だ、なんて抱えるようにして飲んでたじゃない。
ヤス:
まぁ、価値は人さまざまですからね。相続財産の
分割について中川善之助先生は、共同相続人全員の合
意が成立すれば「個人愛用の書籍数巻をもって満足す
るというような、主観的評価だけでも構わないだろう。」
と述べてます。確かに中川先生などは、書籍数巻が金
銀宝飾にまさる、と言うかもしれませんね。当事者が
納得すれば、私人間の紛争解決法規である民法は、あ
えて評価を論じなくていいんですが、租税法は、そう
はいかない。
トシ:
租税法では、社会が納得する客観的金銭評価が避
けられないというのね。
ヤス:
経済学は、はじめ、価値とは何か、何が価値を生
み出すのか、ってことを考えてましたね。初期の リカ
ードD.Ricardo なんて人は、土地が価値を生み出すん
じゃない、そこに労働が加わるから価値が生み出され
る、としました。これはその財にどれぐらい手間と時
間をかけたか、原価から考える コスト・プラスの考え方で
しょう。これに対して、1870年代、限界効用という概
念が発明されました。受け手の効用が、価値を決める
というのです。役に立つから価値がある、需要者側の
効用が価値である、というのです。
トシ:
でも、個人が感じる効用 utility なんて主観的
なもんでしょ。ふつう、水が美味しい、なんて思わな
いけど、飲んで夜更けに帰った時の一杯の水なんて‥
‥‥私、蛇口にくちつけちゃう。
ヤス:
どういう生活をしてるんですか、近ごろ。
でもその主観的な効用も、社会の市場を通したとき、
客観的になるんです。
そこで、マーシャル、A.Marshall 経済学のケンブリッジ学派
・創始者ですが、鋏で紙を切るとき、上刃が切ってい
るのではない、下刃が切っているのでもない、二つあ
わさって切れるのだ、とまぁ、妙に説得力ある表現で
二つの説をまとめてしまいました。
経済学の教科書を覗くと、左右の線が交叉した グ
ラフがあちこちにあるでしょう、需要曲線と供給曲線が
交叉したところが価格だ、というわけ。
トシ:
この人ね、経済学に数学を持ち込んで小難しくし
たのは。
でも、価値の話をしていたのに、市場が価格を決め
るだなんて、市場で決まるのは price でしょ。価値
value とはなに、という議論からすれば詭弁じゃない ?
ヤス:
まぁ、両学派どちらも一理ある、正しい、でもそ
んなこと考えているより、市場の分析、財の分配を考
えた方が意義があるということでしょう。ここから、
経済学は、価値の淵源を問わず、「価格」を通じての
価値の分配、均衡分析という客観的な観察に走ったん
ですな。
トシ:
租税法では、第三者間で成立する客観的な価額な
んて言うけど、もともと評価という作業は、たとえ類
似の財があったとしても、評価対象そのものは市場に
出せないというところでする認識だから、どうしても
フィクションでしょ。マーシャル流に、市場で付いた価格が結果
として時価である、なんてこといっても話が進まない
わよね。
ヤス:
でもこうした経済学の歴史から、ものの評価には
三つしかないことが分かります。不動産鑑定理論もそ
うです。いくらかけたという コストか、これなら買うと
いう買値か、そして両者が折り合った市場の価格。
トシ:
まぁ新製品を売り出すときの価格戦略なんかもむ
ずかしいんでしょう。でも要は、供給サイドが決めるか、
需要者側が決めるか、ということね。
ねぇねぇ、ところでこの フェラガモ、いくらだっ
たと思う ?
※ 中川善之助・泉久雄「相続法」 有斐閣
〈使わなければお金は貯まる、しかし使ってはじめて価値が分か
る、悩む エコノミスト かんの 記〉
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Last Updated: 11/05/96
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