Feb.1996

JTRI 租税法研究 知新会 会報

発行人 菅納 敏恭

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発行人 菅納 敏恭

「模 倣」


敏(トシ):「人類の文化は模倣の積み重ねである。許される模倣と許されない模倣の間に線を引くのが知的財産法である」なんて、井上助教授、かっこ良かったわねェ。          (2月5日の知新会での講義)

恭(ヤス):確かに人類の文化は、模倣の連続で継続していくんだね。知的財産として保護されるとき、独創的、といわれがちなのに、それを簡単にひっくり返して見せましたね。

トシ:たとえば、まったく“独創的な”ラブレターが書かれたとするじゃない。恋文を書こうなんて時は、だいたい精神が尋常じゃないから、奇妙なものもあり得りますよねェ、実際。だけど、もし古今東西、本当に独創的なら、だいたい肝心の相手も分からないでしょ。だから言葉にしろ、用語にしろ、文化の歴史に沿ったものじゃないとまずいわけね。

ヤス:以前、この ビル・ボードの巻頭文で、ジェームズ・ワット Watt の蒸気機関の前に、ニューコメン Newcomen の大気機関の発明があったと書いたでしょ。もちろん シリンダーの製作には、水力による旋盤が必要で、こうした時代背景もあったんだけど、大気機関は蒸気を シリンダーの中に送り込んで冷やすもので、この技術の前に、僕はどうも スコッチ・ウイスキーの蒸留装置、ポットスチル potstill があったと睨んでいる。だから、蒸気機関の発明、ジェームズ・ワットは、やはり ウィスキーの地 スコットランドの グラスゴーなんですよ、ほかにない。

トシ:すると、スコッチ・ウイスキーの技術が産業革命を産み出したというの? 新説ね。   スコッチの国が石炭を掘りだし、鉄道を張り巡らしていたとき、スコッチを知らなかった日本人は、東洋の孤島で平和に田を耕していた‥‥、そこで今の文明は スコッチに感謝‥‥というの ? ちょっと調子いいんじゃない。 あなたの神様は バ ッカス ?

ヤス:ニューコメンの発明もちゃんと特許制度があり、特許申請があって書類が残っているから、調べられるんで、18世紀初頭といえば、日本は、江戸も前期、元禄時代前後ですよ。   産業革命期に、発明が盛んになるのですが、産業革命が特許制度を創ったんじゃなくて、特許制度が産業革命の道をつくったとも言えますよね。

トシ:じゃぁ、人類の歴史、文化の本質が模倣だとすれば、どうして模倣を禁ずる特許なんてできたんでしょう ?

ヤス:それはどうも中世ヨーロッパの王権の伝統でしょうね。中世の王は都市に特権を与え、職業団体ギルドに特典を特許する権力だったようです。たとえば、1268年当時、パリの鍵職人に関しては、ルイ聖王のパリ奉行が“鉄の錠前屋”と“真鍮の錠前屋”にきれいに二分して許認可権を持っていたし、まだ街も暗かった頃、夜道を提灯を持って同行する商売を考えついた カラッファという神父がいました。この神父は、「街頭の往来を希望する人々を導き照らす、提灯持ち」なる職業を創設するのにルイ十四世から許可状をもらっています。 (F・クライン=ルーブル「パリ職業づくし」論創社1995)

トシ:すると、もともとヨーロッパの権力には、職業秩序維持というのがその“営業項目”の中にあったのね。

ヤス:ちゃんと検証した話じゃないけど、特許制度はこうした文化的背景の中で、出来てきたんでしょうね。日本では、かわりに家元制度が、職業と技術の秩序を維持してきた、だから日本人には知的財産権は理解しにくい、というわけ。

トシ:すぐに「○○流」なんて付けて、威張るのね。そこに多少の神秘主義と精神論が必要だから、「○○道」なんてことになる。   たしかに知的財産法は職業秩序維持の法技術だとすると分かりやすいけど。

ヤス:そうすると、知的財産法はなぜ何をどれだけ保護するか、保護法益についての価値判断になってくる。

トシ:と、偉そうなこと言っても、受け売りでしょ。

ヤス:受け売りとは失礼な、“模倣”です。

〈物まね鳥の 菅納 敏恭 記〉

 


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Last Updated: 9/28/96