JTRI 租税法研究 知新会 会報

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発行人 菅納 敏恭

〈 Skeleton love 〉

「ニコライ・ペストレツォフ」


エリザベス・テーラーだって、時系列を縦にみればフリーセックスじゃないか、という議論を聞いたことがあります。その時その時を考えれば、貞淑な夫婦なのかも知れませんが、ずっと時間を追って考えれば法律上の婚姻をないがしろにしたフリーセックスです。酒場のとまり木で、こうした慧眼の論を聞くと、僕はすぐ感心してしまいます。

 愛は、やがてついえます。愛がなくなったときにも、法は婚姻を強制すべきでしょうか? 

 愛情には、恋愛を至上のものとするビクトリアン・ラブと、「神の合わせ給いしもの、人これを離すべからず」として 共白髪まで我慢する愛情、スケルトン・ラブとがあります。

島津一郎 稿「親族法概説」基本法コンメンタール 親族法 日本評論社

 結婚をするとき、死が二人を分かつまでの愛を願うものでしょうが、またそうもいかないのも人の常。法律が期待する婚姻は、骨までの愛なのか、愛情に支えられた婚姻なのか。婚姻は両性の合意のみによって成立するのなら、一方に婚姻継続の意思が無くなったら、婚姻は壊れてもいいのでしょうか。

 婚姻とは、夫婦の情愛とは、何なんでしょうね。

米国のフラガム牧師のエッセイにつぎのような一文がありました。


 『ニコライ・ペストレツォフ。わたしはこの人物と面識はないし、今どこにいるかも知らないが、とにかく、わたしの知っていることをお話しよう。

 ニコライ・ペストレツォフは元ソヴィエト陸軍特務曹長で36歳。故郷を遠くはなれてアンゴラに駐留しているところへ、妻が面会に訪れた。

 8月24日、南アフリカ軍がアンゴラに侵攻した。同国に潜伏している黒人民族主義ゲリラを討伐するためである。南アフリカ軍はン・ギヴァの村でソ連軍と交戦した。ソ連兵4人が死亡し、残りは逃亡したが、ニコライ・ペストレツォフ特務曹長は踏みとどまって捕虜になった。そのことは南アフリカ軍発表のコミュニケに述べられている。「ニコライ・ペストレツォフ特務曹長は我が軍の同村攻撃で死亡した 妻 のそばをはなれようとしなかった」

 南アフリカ人にとってこれはよほど信じ難いことだったと見えて、コミュニケは繰り返しこの件に触れている。「同曹長は妻がすでに死亡しているにもかかわらず、その遺体に寄り添ってはなれることを拒んだ」

 いったい、どうしたことだろう。ニコライ・ペストレツォフは何故、我が身の安全をはかって逃亡しなかったのだろうか? 何が彼を引き止めたのだろう?

 彼はそれほどまでに妻を思っていたのだろうか? 最後の分かれにもう一度だけ妻を腕に抱き締めたかったのだろうか?   妻の死を悼んで思うさま泣きたかったのだろうか? 彼は戦争のむなしさ、愚かさを感じていたろうか? 運命の不当な仕打ちを恨んだろうか?  彼は故国の子供たち、あるいは、ついに生まれることのなかった子供たちのことを思ったろうか? 自分はもう、どうなろうと構わないという気持だったろうか? 

 どれもみな、あり得ることである。その時の気持ちは本人しか知らないことだから、はたからは何ともいえない。しかし、心のうちは察しがつく。何よりも、彼の行動が多くを物語っている。  ・・・その場において彼はただ、一人の男として、命に代えて一人の女性を大切にしたのだ。

 ニコライ・ペストレツォフ。あなたがこの先どのような境涯に置かれることになるかは知らず、何はさて、あなたのために杯を上げるとしよう。』

ロバート・フルガム『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』 河出書房新社 1990


 僕も乾杯! 今年、知新会は、家族を考えます。 ( わしゃ、九十九までと思っている Kanno )


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Last Updated: 8/20/96