JTRI 租税法研究 知新会 会報 Billboard 発行人 菅納 敏恭

〈 La Societe Japonaise 〉

ウチの会社


この四月に入社した新人がもう‘ウチの会社’と言い出しました。

私たちの社会意識、ウチとソトについて考えたくて、日本人論の往年の名著 中根千枝 『タテ社会の人間関係』を読み返してみました。

『タテ社会の人間関係』は、社会をその構成要因のふたつの原理、‘資格’と‘場’という概念で分析しています。‘資格’とは、個人の属性であり、氏、素性、労働者、地主・小作人、男女などです。これに対して ‘場’とは、××村とか、会社などの集団を構成させる一定の枠のことです。

『日本人が外に向かって(他人に対して)自分を社会的に位置づける場合、好んでするのは、資格よりも場を優先することである。記者であるとか、エンジニアであるということよりも、まず、A社、S社の者ということである。また他人がより知りたいことも、A社、S社ということがまず第一であり、それから記者であるか、印刷工であるか、またエンジニアであるか、事務員であるか、ということである。

実際、××テレビの者です、というので、プロデューサーか、カメラマンであると思っていたら、運転手だったりしたなどということがある。

ここで、はっきりいえることは、場、すなわち会社とか大学とかいう枠が、社会的に集団構成、集団認識に大きな役割をもっているということであって、個人のもつ資格自体は第二の問題となってくるということである。

この集団認識のあり方は、日本人が自分の属する職場、会社とか官庁、学校などを「ウチの」、相手のそれを「オタクの」などという表現を使うことにもあらわれている。

この表現によく象徴されているように、「会社」は、個人が一定の契約関係を結んでいる企業体であるという、自己にとって客体としての認識ではなく、私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が濃厚にはいっている。

A社は株主のものではなく、われわれのものという論法がここにあるのである。』

そろそろ株主総会の季節です。株主総会で日本人経営者は株主に向かって「わが社は・・・」と言い、米国では「Your company is・・」と言います。日本人の骨身に身についた社会感覚は、会社のオーナーは株主であり、取締役は経営を委任されただけであるという近代法の原則さえ簡単にすり抜けてしまいます。

『この日本社会に根強く潜在する特殊な集団認識のあり方は、伝統的な、そして日本の社会の津々浦々まで浸透している普遍的な「イエ」(家)の概念に明確に代表されている。・・・重要なことは、この「家」集団内における人間関係というのが、他のあらゆる人間関係に優先して、認識されているということである。

すなわち、他家に嫁いだ血をわけた自分の娘、姉妹たち(血という資格を同じにする者 筆者 注)より、よそからはいってきた妻、嫁というもの(場を同じにする者 筆者 注)が比較にならないほどの重要性をもち、同じ兄弟ですら、いったん別の家を構えた場合、他家の者という認識をもち、一方、まったくの他人であった養子は、「家の者」として自己にとって、他家の兄弟よりも重要な者となる。兄弟姉妹関係(同じ両親から生まれてきたという資格の共通性にもとづく関係)の強い機能が死ぬまでつづくインドの社会などと比べて、驚くほど違っている。・・(いうまでもなく、日本にみられる婿養子制などというものはヒンドゥ社会には存在しない。ヨーロッパにおいても同様である)・・』

『夫唱婦随とか夫婦一体という道徳的理想はあくまで日本的なものであり、集団の一体感の強調の良いあらわれである。』

『こうした「家」「一族郎党」を構成した人々は、近代社会にはいると「国鉄一家」的集団を構成する。組合は職員・労働者とともに包含し、労使協調が叫ばれる。家制度が崩壊したといわれる今日なお、「家族ぐるみ」などといわれるように、個人はつねに家族の一員として、・・・』 中根千枝『タテ社会の人間関係』講談社現代新書 1967

今年、知新会は、家族を考えます。

( ウチの会の世話人 カンノ )


「租税関係メニュー」へ戻る


Last Updated: 6/09/96