JTRI 租税法研究 知新会 会報 Billboard  発行人 菅納 敏恭

< An old dad >

父は、がんばる


妻が癌で逝き、老夫婦ふたりで暮らしていた老父が一人のこされました。佐橋慶女「おじいさんの台所」文芸春秋 1984 は、ここから始まります。

四人の娘のうち三人は嫁ぎ、老父は嫁ぎ先での娘の立場を考えて同居を諦めます。第一「仏さん」を持っていけません。しかし六十年も連れ添った妻の位牌を守ることは自分の役割なのです。一人息子は事業に失敗したところ。また息子と男親はどうも胸襟を開いて話せない、お互いしっくりといかないところがあるようです。のこる三女、つまりこの本の著者は東京で会社を経営する独り身。出張が多く留守がち、見知らぬ都会の家に老父をひとり置いておくこともできません。

結局、明治生まれの亭主関白、家事のことに一切関心のなかった老父が 83歳になって一人暮らしを始めることを決心します。三女は「鬼軍曹」になって、家事全般、料理を教えます。

ときに取っ組み合いの喧嘩をしながらも、83歳から料理や自分の身の回りの家事を覚えていきます。近所の人に支えられ、地域社会の中で自立したひとり暮らしを始めます。

老後は当然、子どもたちの生活の中で、・・・というのは 30年前の日本の常識。しかし夫婦と未成熟子で構成される近代的小家族が常識の時代になると、子育てが終わった老人は浮き上がってしまいます。時はまさに高齢化社会。医療技術の進歩は老年者を生み出し、何らかのケアを必要とする年代になったとき、自分の子供たちは、夫婦と子を中心とした家族を構成しているのです。近代家族は、医療の進歩が幼児死亡率を劇的に下げたのを受けて、工業化社会の中で、形成されていったのですが、長寿であることの負担などは予想していないシステムです。子どもが成人し家庭から離れ、自己も子たちも夫婦単位の家族を当然と考え始めたとき、人類がかって遭遇したことのない長寿がおそってきたのです。

私たちが現場実務の中で 遭遇する相続紛争事案のほとんどは、当事者本人自身も認識してない家族像の心の中での矛盾です。

つまり、財産を残すものにとって「家族」とは妻とアルバムの中にのこされた愛くるしいこどもたち(近代的小家族)なのか、家財を形成し、代々継承した大家族のことなのか。財産を承継する相続人たちも日頃の生活は小家族で当然としながら、相続、財産承継が問題になると、大時代的な家族観が顔を出します。相続事案というのは、日本人の家族観の紛争なのです。

さてこの老父は現代日本では恵まれた環境というべきかも知れません。経済的には成り立ち、近所の人に支えられ、月に何回か娘たちが顔を出します。でもひとり暮らしは寂しいものがあります。

老父は日記を書いています。その日記を三女が見ると、

「秋口の名物、台風がやって来るという日は、夕方早く雨戸を閉め、一人暮らしの心細さ、辛さを綿々と書きつらねている。

懐中電灯、ローソクを準備万端整え、さしも好きな相撲観戦も気もそぞろで、家の中を往ったり来たり、やたらと動き廻っている。

幼少のころ、台風や雷がこわくて震えていたとき、子ども心にも父の存在は大きく、心強く思っていたのに、その父も家族がいないとやはり不安のようだ。一人で心細く思っているのがいじらしくも哀れである。家族の暖かさ、家族があってこそ、父親はがんばるのだ・・・。」そう、雷だって、台風だって、あるいは世間だって、こわいもんなんですよ、男だって。

男は結婚して一人前、所帯を持ってこそ責任感が出る、という旧弊な物言いも、あながち間違いではないのかも知れません。老後はどうなるか分かりませんが、「家族があってこそ父親はがんばる」のです。がんばれるのは家族のおかげです。女房子どもの寝顔が男の人生のカンフル剤です。まず口には出せないけどね。

今年、知新会は家族を考えます。

( 男の中の男 KANNO 記)


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Last Updated: 6/01/96