Feb.1996

JTRI 租税法研究 知新会 会報 Billboard 発行人 菅納 敏恭

< John lackland was not John Bull. >

鎌倉武士からジョン王の話


敏:どう、元気 ? この知新会も来年で十年になるんでしょ。ほんと、お金にならないことには一生懸命になるたちなのね。

恭:一生懸命と言うほどじゃないよ。遊び半分、楽しみながらネ。一生懸命というのは、もともと鎌倉武士の物言い。鎌倉様に安堵いただいた所領に命を懸ける、つまり一つ所に命を懸けるというのが原義で、一生を懸けるなんて考えていたら、今日は源氏、明日は平家、と言うわけにいかないでしょ。

敏:土地にしがみつくとことが、日本人ね。そんな時代から。

恭:ほころんできたとはいえ、それまで律令制の呪縛の中にいた開発領主たちが、鎌倉幕府から、本領安堵された、つまり土地支配をオーソライズされたわけだよね。だから鎌倉幕府は、統治機構としてシンプルだったと言われるけど、幕府の仕事は、土地その他にまつわる争論の処理につきる、司法を中心として行政サービスがない国家だったんじゃないかなぁ。

敏:ヨーロッパもそんな感じ ?

恭:中世ヨーロッパの王権も領主に封を与え、裁判をしたり調整したりすることが、中心だったんでしょう。王自身も領土を持っているんだから、国全体の人民の面倒を見るという行政は、やる必要ないし、ね。ただ大きく違うのは、封建領主たちは、王から所有を認められたから、領主になったんではなくて、王にオーソライズされる前から、領主としての地位がつよかったという点でしょう。所領内では、領主は裁判権や課税権を持ち、国王に対しても不輸不入の権利を持っていたのです。だから、国王といっても、諸国の王(領主)の中の王といったもので、領主たちが居並ぶ裁判の議長といった役を務めるにすぎなかったらしい。

だから、本来、税金も国王に対する援助という考えなんでしょ。戦争なんかで急にお金が必要になったとき、封建領主にお願いするような形で徴収する、これに対して、鉱山の採掘権とか、都市の自治とかを与える、税金が取引材料になる、税金も双務的な交渉ですね(注)。

こんな政治システムの中で、マグナ・カルタ(大憲章)が登場するわけ。これは日本でいえば、鎌倉時代の始め。当時の英王ジョン John lackland が、まぁ、どうしようもない奴で、フランスと戦争をおっぱじめるは、負けてフランスにあった領土は失うは、教皇からは破門されるは‥‥、その上、戦争で窮した財政のため重税をかけようとするので、貴族が反乱したんですな。マグナ・カルタには「いかなる軍役免除金または御用金も、王国全体の協議によるものでなくては、課せられるべきでない」という一条が入って、これに署名させられた事件です。これを租税法律主義の宣言のように解する向きもあるけど、これは当時の大多数の農民には関係ない話で、早い話、貴族政治の中の内紛みたいなものですよ。近代の民主主義とは、性格が違うと思うんだけど、一つのテクストを時代に合わせて、読み替えて意義深くしていくのは、英国法の得意とするところだからね。

敏:それが、法律家というものよ。条文があってそのまんま適用すれば、妥当な結論が出る、というなら、法解釈なんて要らないんでしょ。

恭:でもありましょうが、英国なんて憲法という法典も存在しない判例法の国ですからね。それだけ自由があるのよ。そうじゃなくちゃ、貞永式目の時代の古文書を王権を制限する国会の淵源に持ってこれないでしょ。事実、その後国会なんてうっとうしいもの、国王は開きませんしね。エドワードT世のもと、模範議会が開かれるようになったのは、80年もあとですよ。

敏:でも、国民一般が租税を負担する現代になって、租税法律主義がクローズアップされるとき、英国人は、こういうものを持ち出して来るんでしょ。社会の統治システムとしては大人なのよ。

恭:だけど、英国という国は、国家機構としては、つぎはぎだらけのところがありますよ。最高裁判所は、形式上、国会の上院だし、国だってUnited Kingdomといって、イングランドのほか、スコットランドやウェールズ、北アイルランドが、王国のままの連合体だし。それを受けて英国旗、Union Jackは、三つの王国の旗を重ね合わせただけのデザインだからね。

敏:でもすぐに、まっさらにしたがる日本人は、勉強しなくちゃいけないとことが在るんじゃない?

恭:そう、スコッチウイスキーもね、はじめは‥‥

(注)この辺の記述は、司馬遼太郎対談集『土地と日本人』中公文庫の石井紫郎教授(法制史)の発言を参考にした。

〈今年は英国のことなど考えようとスコッチをなめる カンノ記〉


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Last Updated: 5/19/96